一家創立
相続登記の仕事をしていると、いろいろな戸籍を読み込むことになります。
そしてそれが、昭和初期、大正時代、明治時代、それ以前になってくると、現代では考えられないドラマを垣間見ることになります。
旧民法は明治31年に施行され、昭和22年まで施行されていました。
「家」を基本として戸籍に表現されているわけですが、現代から見ると、差別と言われれしまいがちな概念です。
そもそも、旧民法における「家」とは、
その団体員の一人を中心人物として、その者すなわち戸主と他の家族との権利義務によって法律上連結された親族団体(穂積重遠博士)
だそうです。
突然、こんなお堅い話をした理由は、少し前の依頼ですが、「一家創立」による戸籍を取得することがあったからです。
一家創立とは、戸主の意思によることなく、法律の規定により当然に一家が設立される場合のことをさし、戸籍の記載としての現代的な意味は「新戸籍編成」になります。
一家創立の主な原因としては、
1、子の父母が共に知れないとき(旧民733条3項)
2、非嫡出子が父母の家に入ることができなかったとき(旧民735条2項)
3、家族が離籍されたとき(旧民749)
4、日本で生まれた子の父母共にどこの国籍をも有しないとき(旧国4条)
など、
その方の苦労されたことが、戸籍からにじみ出てくる内容が多いので、なにか感慨深くなってしまいます。
それでも、別に一家創立が不幸と共にある話ではなく、
5、戸主でない者が爵位を授けられたとき(明治38年法律62号)
6、皇族が臣籍に降下されたとき(明治43年皇室令2号)
なんて、変わってものもあります。
一世紀前といえば、そんな歴史と考えられてしまいますが、
100年もの期間をかけて、
でもたった100年の間に、
日本の人権はものすごく進化しているなぁと、驚かされます。